授業レポート

   学級崩壊について思う  山梨大学 阿部先生の授業より

                                     文責  河西 修 

 今年の4月娘が小学校に進学した。実は娘のクラスの人数は40人である。ある筋の話であるが、あと数名生徒の人数が少なかったら2学級から3学級になり生徒の人数ももっと減っていただろうということだった。
 40名という生徒に一人の教師という典型的な日本の教室での授業は、秩序の維持こそ授業を進めていく上で欠かすことができない条件であるといえる。実は私自身教師をしているのだが、どんなに解放された授業でもこの秩序は守られていたはずであった。
 ところが最近の学校特に小学校において学級崩壊という現象が広まっている。担任に対する反抗、私語、たち歩きがこうじ授業が成立しない。そうしてこのようなことが起こるのか教師の経験から私自身の考えを述べてみる。
 子供たちに学校の教師はいい顔ばかりしてはいられない、時にはその行動を戒めるために注意をする。しかし、ちょっとした注意でも「うるせえ」「くそばば!」といった暴言が返ってくることがある。教師の忍耐と努力により以前はこのような人間関係も多くはプラスの傾向に向かった事例を多く知っている。しかし、今日その努力の甲斐なくいっそう傷つき、自信を失う教員の例をたくさん見る。
 以前は、教師の熱意さえあればそれに比例してクラスは良くなったものだ。しかし、現在の状態は、熱意や経験だけではこの荒れを必ずしも防ぐことはできない。日本の学校は明治のはじめから一斉授業方式を取り入れてきた。学級の全員が同じ教科書を使い、同じ内容を勉強する。この伝統的なスタイルは学習を効率的に進めることができ、日本は諸外国には例がない驚異的な成長を遂げたといえる。この点から言うと戦後教育は成功したといえると思う。現に今でも外国には例がない40人学級を維持しているのも授業規律があったからである。
 しかし、学級崩壊によってこの伝統的なスタイルは揺らいでいる。学校の会議では、家庭のしつけが不十分、子供が自己中心的になっている、小さい頃から自由や自主性を尊重するあまり自制心が育っていない、また親はいつの間にか子供に何も言えなくなっている。ゲームやコンピュータに慣れ親しんだ子供にありきたりの授業はおもしろいはずはない。やはり、我々教師の力不足なんだ・・・と。
 授業を聞く体場になればわかることだが、つまらない授業わからない授業を座り続けて聞くには相当の忍耐が必要である。子供がひたすら座りながら聞く学習スタイルはいずれにせよ限界である。また、刺激的な音楽や映像に触れている子供たちに従来効果があった教材がその力を発揮できるとも思われない。
 今の子供たちの臆せず意見を言う姿勢は以前期待された人間像そのもののはずである。音楽で踊ったりファッションに敏感なことはすばらしい個性や力になるはずである。こうした彼らの特徴を生かす授業の工夫が学校を必ず変えて行くはずだ。
 最後に、是非40人学級があと数名の事で解決したならば、多少の予算を削ってでも実現してほしかった。子供の変容、教育内容の変容、社会の変容に対し、この空間的余裕の実現は教師にとっても生徒にとっても待ち望んでいるものに他ならない。是非、各関係機関には一考してもらいたいものである。


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