コンピュータの操作を子どもに教えると言うことはそもそもどういうことなのか・・・・
コンピュータを使うことでどのような学力を身につけることができるのか
ツールとして何年にもわたって使われてきたコンピュータでは、シュミレーション、マルチメディア、インターネットとその使用方法を変化させている。
いったい何をこれらの手法を通して子どもたちに身につけさせたいのか。どのような学力を身につけさせたいのか・・・
今までのコンピュータ教育の反省・・・・・なし
「ただ、漠然と時代の流れとしてそれを教えることが必要なのだ、万人がコンピュータを使えるようにならなければならない」
との世論の支持に支えられているだけである。
テクノロジー信仰
1960年 子どもたちの学力をきちんと保証し、定着させていく手段として「工学的な手段」を使うのが一番と、現場教師の熱い支持を得た。できない子どもをできるようにする技術開発を進行すべき、機械的なステップを子どもに踏ませ教師の意図や目的に応じて学習をコントロールべきである、との考えが何の疑いもなく受け入れられた。
教育工学のおこり
・・・教育工学こそがこれまでの教育の非科学性を打破する新しい改革の運動であるとし、全国に広また。
これはいい授業だと言ったって、子どもに学力が付いていなかったら意味がないじゃないか。
プログラム学習なら一つのプログラム学習がどれだけ有効かは生徒の正答率で正確に検証可能である。それを改善していけば最適な学習プログラムが設計できるはずだと主張していた。
教育工学からの脱皮
これからの教育は科学的でなければならない、教育のテクノロジーを確立しなくてはならない。
という課題に出会う。
そして、人間から本来の人間性を喪失させているのではと管理工学的な発想を疑った。
人間とは何か
学習とは何か
物事を理解するというのはどういうことか
についての科学が全く深まっていかない。
何、何故という事についての深まらない事にどこか問題があるという直感が働いた。
行動主義心理学から認知心理学へ
スキナーの行動主義批判がアメリカで本格的に行われていた。
本当にものが解る、、ものを理解するという研究は行動主義心理学への批判から始まっている。
能力至上主義、効率至上主義によって見えなくなった世界とは・・・・
人間は外界からの一方的な働きかけに従って学習を進める存在ではなく、自ら世界を意味づけ予想や期待を抱き物事を説明し納得するために積極的に世界に働きかける存在である。
教師にできることは学習者の問題意識を発展させ、意味づくりを支援していくことである。
思考の科学としてのコンピュータ
コンピュータそのものを何らかの理論を実現する応用技術の道具としてではなく、コンピュータそのものを思考する機械と見なしコンピュータを思考研究の科学の対象においた研究、認知科学が台頭してきた。
パパート
スキナーの行動心理学とは正反対の立場をとったピアジェの弟子で構成主義を主張している。
シンボルの活用という形で記号的に世界と関わることが不可欠。そこでロゴを開発した。