出典
教授の理論
学習者が学習してしまったことは、間違いなく教師の成した教授活動に原因がある。
教授とは
教えたい、または、教えたと考えること
現実になされた、またなされるだろう
教授活動の二つの意を持つ。
なにを教えるのかを目標という。
目標論には
・どのような知識が教えられなければならぬかの問題と
・それらを学校階梯別、学年別にどのように配列するかの問題がある。
日本の各教科の目標は理論的根拠をもつものではなく多くは従来の慣習によった経験主義的な物が多い。
文部省からは「ゆとり」が提起され、教育内容の精選がうたわれているが、現状は少しも動かない。これはかけ声ばかりで理論がないからである。
目標が決まったとしても、それをどういう形で教授活動に実際に具現化するのかという段になるとさらにもう一つ問題が加わる。
それは目標が到達目標か方向目標かということである。
到達目標の例
奈良時代の産業、ボイルの法則
方向目標の例
集合的な考えを育てる。のびのびした作品を育てる。
問題
教育とは
子供の権利事項か・・・
子供を選別する大人の仕事か・・・・
更に義務教育という規定は何を意味しているのか
目標とはそもそも誰の目標か・・・
到達目標論
目標は子供たちが自分たちの人格の自覚的発達可能の程度をおしひらいていくための自分たち自身の学習活動のめあてである
教育目標は現代社会では国、自治体、学校レベルで選ばれたりする。
しかし、
選ばれただけの目標は、
所詮生徒の目標ではなく、教師の目標であり、教えようとされている目標に過ぎない。
こどもの学習による変化の事実へと転化した目標に移行するためには教授の方法、
具体的には教材を通すことになる。
なにを、どのように
これらの物は密接に関係する。
これを学習してほしい・・・なぜ?
それを学習すること自体が目的ではなく、学習者によって使用されることを仮定しているから。
あたらしい学習により、これまでの知識の整理がつき整然としたものになる。
教材とは
認識の過程をより多くの子供がたのしく、
正確に、深く、少ないエネルギーで進めていくことができるように・・・という観点
つまりものの「優劣の方法論的、発生論的尺度をものさしにして特別に加工された文化材である。
教授における教材づくりとは
目標をなす科学的概念や形象をとらえ、これをこどもの学習状態を作り上げている生活概念にまで高めていくしごと。
よく選ばれ配列された、目標群を子どものよい学習に帰結させるためには、教材解釈・教材作りをすすめ子どもの学習状態を深くとらえていく教師の力量が大切である。
子どもは白紙ではなく、一人一人違った学習状態持つ以上何をさせえたかという側面から構想しうる客観的な整合的な方法学などという物は存在しない。
このことからヘルバルト以来の方法学は妄想だったのだろうか。
参考
教授の評価
教師がこどものに何を教えたのかの値踏みである。目標設定の妥当性の評価、教材の評価、指導過程の評価や学習形態の適否の評価など、さらには学校財政や教育計画の適否など政策評価を含む
評価は測定論、評定尺度論、評価行政論がある。
測定論は評定を妥当性がありかつ客観的におこなうtめの道具と道具のしようの手続きに関する理論と技術である。