かつて
日本の製品が欧米で馬鹿にされたのは
欧米の技術や歴史や積み重ねられた知識の結晶であるはずの発明を、
造った人たちの内側に入ることなく結果だけをそっくり再現して
利用したことにたいする怒りと反発からである

■残念ながら、日本の精神風土は・・・・・

 ○日本人の特質
  まずは、その道のプロがやってきたことを主張してきたことを勉強するという形から抜け出せない。つまり、自分と離れたところにすでに知識は「ある」ものだと思っているのであり、私とは無縁の権威者たちによって確立されたものだと思いがちである。

 ○欧米の知識
  「ほんとうか」と問いただせるものであり、納得できなければいくらでもいろんなり反論を提起してよいものである。おかしいとこと納得できないところは日々修正し改良し ていくべきものである。

■日本人が知識を固定し、権威づけられたものと見なすようになったのは
  ・明治以来の科学と技術の輸入
  ・日本人はやり方、手続きなるものを実用性より重視する。つまり、なぜ、どうしてより、HOW TO やり方を重視する傾向にある。

  たとえば、心理学教室で海外で研究され始めた研究を「これはそもそも本当か」を吟味することなく、どうやったらこれを吸収できるか、使用できるかの学習会が多いことなど・・

■日本人の知識
  偉い人が言っているから本当だ、昔の本に書いてあるから本当だ・・・・・権威主義的知識観

■日本の子どもの成長
 
 幼稚園の段階から、「ちやんとする」ということは、みんなと同じことをすることであり、逸脱しないということであり、変わったことをしないことであると親から言われ、先生から言われ、友だちからもそう見られて育ってきた。
 みんながやっている「○○」を早く身につけ、固じようにふるまうことが、みんなとうまくやっていくための必須の条件である。「○○というふうにやらなきやいけないんだよ」という「やり方」のルールが、子どもたち同士で勝手にどんどんつくられ、どんどん付加され、自分たち自身を「やり方」のルールでがんじがらめにさえしてしまう。
 そういうルールができるごとに、特定集団が特権化し、その集団に所属しない者は逸脱者として排除され迫害される。これが小学校、中学校へと進むうちにますます強化され、高等学校での受験勉強で、まさにピークに達する.権威ある予備校の、権威ある講師の、「解き方」を暗記することが成功への道とされる。
 そして大学生の「勉強」、さらには、先にみたように大学院の「研究」活動にまで手続き主義と権威主義はつづくのである。
 
 


中学校で学びを回復するためにはどのようにしたらよいか

  まず教師は自分が教え込もうとすることについて改めて初心に帰り
あらたに多様な発想をぶつけてその教材や題材に惚れなおすことである。
  つまり、本人がその価値や意義を新たに再発見して黒板の前に立つのである。
  教材探しや授業の準備の段階では教師は情熱をかきたて教材に惚れ込んでいる。
しかし、教えようとして発問をなげかけようとする間に熱もさめ、ただ教えるべき項目だけを頭に入れて教室に入る。こんなパターンが多いのは現実のことだ。
  こどもたちが教材の価値を理解・感謝・賞味できるような世界を設定し、自分が主人公になって入っていけるようにさばざま追求の可能性をひらくのである。
  そして、こどもたちの追求をできるかぎり作品化するのである。
それは自分の学びを まさに文化として残すだけでなく教室ないで相互に味わいおもしろさを発見しあい、互いを人間として見なおすためである。




佐伯ゆたか「学ぶということの意義」から

メインメニューに戻る」