まとめておしまい型授業に反省
ルールと意外性
4本の線で囲まれた形を四角形といいます。
物は一人より二人でもったほうが楽である。
もしかすると、上のことは中学生にとっては生活の中で、無意識に確認されているルールであろう。
しかし、このルールを使っていくことをさせるとおもしろいことが見えてくる。
これは単純に、学んだルールを参考書で活用するということを言っているのではない。
第一、問題集から拾ってきた問題にルールを使っても応用力は身に付かないし、おもしろくない。
たとえばほとんど水平に近い形で結ばれた線にバケツをつるした場合、二人の仕事の量は一人の時より大きくなる。
冷蔵庫は物を冷やす・・・・・同時に飽和水蒸気量が低くなり乾燥もする。
毛布に包んだ氷は溶けにくい
180度以上の角度をもった四角形は四角形に見えにくい。
ルールを使う事が楽しい事例や、応用力を高めることができる事例は、共通の特徴がある。
それは、今学習している事がルールに支配されているとすぐにはわからないとき、つまりわかったとき意外だと感じるときである。
更に、それらの事例が日常生活につながりを持っている事である。
知識は我々がよりよく生きるための道具である。
道具はしまっておくのにあるのではなく、使うためにある。
まとめておしまい型の授業はこの点が意識されていない。
受験体制の中、我々教師は効率的に多量の知識を教え込んできた。応用といっても参考書、塾での学習といったことを繰り返し、生徒の本当の学ぶ意欲は物の見事に無視されてきたと言っても良いだろう。実際、まだまだ学習塾や入試にはそのような傾向が強く、せっかく難関を突破してきた生徒も使えない道具としての知識を持て余しす。ほとんどの場合は、受験が終わった瞬間にこれらの知識は忘れられ、大学では活用されない。
単に興味関心を高める手法としてではなく、その生徒の生きる力となるような学習が今問われている。
最後に、工学的な手法を批判するわけではないが、単純に生徒たちに興味を引かせる技は我々は多く有している。しかし、よし、この知識を応用して自分も頑張ってみようという自発的態度まで発達させるには、目先の手法では結局身につけられないと思う。特に、今できたことが数年後には誰でもできるようになっているような物での応用はつらい物があると思う。